Heavy Watal

Research Interests

生物多様性と複雑性の源泉

生物の多様な機能・形態はどのようにして獲得されてきたか?

地球上の生物たちの驚くべき多様さと精巧さは全て、単純な共通祖先に端を発する進化の歴史の中で発展してきたものであり、その背景には生命の多様化・複雑化をもたらす力学的な法則が存在しているはずである。 この確率論的な過程を定式化して示すことが、私の理論進化学者としての目標である。 この試みは“Tree of Life”全体の在り方を統一的に理解するための重要なステップとなる。 私はこれまで遺伝子制御ネットワーク(Gene Regulatory Network, GRN)が併せ持つ頑健性新奇性がいかにして進化を駆動してきたか、隠蔽変異に着目してこの問題に取り組んできた。

問題点: 表現型進化の中間段階を記述する理論の不在

進化の原動力は遺伝的変異であり、集団内に存在する遺伝的変異の量は表現型進化の方向や速度を決定する(Lande 1979; Hansen and Houle 2008)。この仮説に関する集団遺伝学的な理論研究の多くは、遺伝的変異はみな表現型の違いとして表れるという仮定の下に「見える変異」のみを取り扱うものであった。しかし生物が新たな機能を獲得するためには複数の突然変異を必要とする場合が多いため、ほとんど機能的でないかむしろ有害であるような中間段階(いわゆる適応度の谷)を生物がどのように超えるのかが、これまで複雑性の進化を考える上での大きな問題であった。

また、生物は突然変異を重ねるだけでどんな新しい表現型でも自由に作り出せるというわけではない。突然変異がゲノム中でランダムに起こるとき、それが表現型に及ぼす影響はランダムでも相加的でもなく、個体発生の過程に由来する制約を受ける。このことは、遺伝子と表現型の間を結ぶ分子発生学的システムを考慮することが表現型進化を理解する上で不可欠であることを示している。

解決方策: 変異を隠蔽・放出する進化発生学的過程の理論構築

生物集団が新しい環境に遭遇すると、元々見えていたよりも大きな表現型分散が現れることがある(Clausen et al. 1940)。 このことは、通常生息している環境では「見えない変異」すなわち隠蔽変異(Cryptic Genetic Variation, CGV)が集団内に蓄積しており、環境変動に応じてそれらが一気に顕在化することを示唆している。 このような隠蔽変異の蓄積と放出を可能にするメカニズムは進化キャパシタと呼ばれ、環境激変に対する適応進化や、適応度の谷を越えるような表現型進化に寄与すると考えられる。

新奇な表現型の多くは全く新しい遺伝子の獲得を伴わず、むしろ既に持っている遺伝子セットの時空間的な発現パターンが変化することによって生じる(Jacob 1977; Carroll et al. 2008)。 したがって、どの遺伝子がいつ、どこで、どのくらい発現するかを司るGRNは、進化における新奇性の源であるとも言える。 さらに、GRNは代替経路やフィードバックループなどにより安定化されており、ネットワークの一部に突然変異が起きても簡単には表現型を変化させない。 本研究では、このようなGRNの頑健性が進化キャパシタとして隠蔽変異の蓄積・放出に寄与するとき、選択圧の強さなどの環境的要因や、GRN構造などの遺伝的要因にどう影響されるか、挙動を把握することを目的とする。

研究方法: GRNの個体ベースモデル

環境シグナルが遺伝子発現を誘導し、GRNに規定された遺伝子間相互作用を経て個体の表現型が決まる。 表現型値と環境が定める目標値との距離に応じて個体の適応度が計算され、近いほど多くの複製を次世代に残す。 複製の際にGRNの一部で突然変異が生じる。このような過程で遺伝的に均一な状態から何万世代も進化させた個体群について、遺伝的多様性と表現型多様性を計測した。 続いて元の生息環境とは異なる環境シグナルを集団内の各個体に与え、そこで現れる表現型多様性を計測した。

結果1: 強い安定化選択圧の下でも隠蔽変異としての進化ポテンシャルは枯渇しない

選択圧は遺伝的多様性や隠蔽変異にどのような影響を与えるだろうか? これまでの理論研究では、強い選択圧の下では遺伝的変異が枯渇し、進化可能性が低くなると考えられてきた。 しかしGRNを組み込んだ個体の集団を選択圧の強い条件下で進化させた場合、遺伝的多様性や表現型多様性は減少した一方で、新規環境で顕在化する隠蔽変異は減少しなかった。 このことは、強い選択圧の下にあり表現型のばらつきが一見小さく見えるような形質・集団にも隠蔽変異が蓄積しており、環境変動時の適応進化に寄与しうる可能性を示唆している。

結果2: 環境不均一性が高く可塑性が要求される環境ではGRNが複雑化する

生息環境の不均一性は集団の遺伝的構造の進化にどのような影響を及ぼすだろうか? 個体が生涯で多様な環境を経験するような条件下で集団を進化させた場合、各時間断面で見られる表現型多様性は変化せず、集団中に蓄積する遺伝的多様性や隠蔽変異は減少した。 このことから、環境の異質性は選択圧の強さと同様に遺伝的変異を量的に制限する一方で、質的には選択圧の強さと異なる影響を持つことが示唆される。その証左として、環境異質性の高い進化条件下ほど、より大きく密なGRNが選択される傾向があった。 適応しなければならない環境の多様性によってGRNの複雑性への要求が高まるという関係性は、生命システムの複雑化を理解する上で普遍的な重要性を持つ。

結果3: 大きなGRNほど隠蔽変異による進化可能性が高い

ではGRNの構造は隠蔽変異や表現型多様性にどのような影響を与えるだろうか? 環境条件を揃えつつ遺伝的なパラメータを変化させてシミュレーションを実施したところ、大きく密なGRNほど隠蔽変異を蓄積し、新規環境における表現型多様性が高いことが分かった。 これは、GRNが大きく複雑になるほど、新しい環境に対する適応の可能性や新奇形質を創出するポテンシャルが高くなることを示唆している。 近年、重複遺伝子を多く保持する種ほど侵略的に生息域を広げやすいことが明らかになったが、このような傾向もGRNの複雑性と何らかの関係があるのかもしれない。

強い選択圧 可塑性要求
遺伝的多様性 減少 減少
表現型多様性 減少 変化なし
隠蔽変異 減少しない やや減少
GRN複雑性 変化なし 増大

まとめ: 生命システムの複雑化と多様な環境への進化的適応が相互促進的に作用する

分子発生学的過程と進化生態学的過程の両方を組み込んだモデルを構築することで、これまで扱えなかった「見えない変異」の量的な議論が可能となった。 3つの結果を環状に結ぶと、生命システムの複雑性の増大と多様な環境への適応は隠蔽変異を通して相互に促進しながら持続的に進化を駆動し、生物の多様性と複雑性の源泉となっている可能性が示唆される。 近い将来、ゲノム解読技術がさらに進歩し、GRN構造を個体・集団レベルで比較・解析できる時代が訪れるだろう。 本研究は来るべきその日に向け、進化学的なタイムスケールにおいてGRN構造と隠蔽変異がどう変化していくか、またそれが進化の道筋にどのような影響を与えるかを理解するための理論的な基盤を提供し、その重要性を訴えるものである。

Iwasaki, W. M. and Tsuda, M. E. and Kawata, M. (2013) BMC Evol Biol 13, 1 pp.91 [pmid:23622056] [doi:10.1186/1471-2148-13-91] Genetic and environmental factors affecting cryptic variations in gene regulatory networks

Glossary

遺伝子制御ネットワーク (Genetic Regulatory Network: GRN)

ある遺伝子が転写因子として別の遺伝子の発現を促進(あるいは抑制)し、 それがまた別の遺伝子を、というような相互作用関係をネットワークとして捉えたもの。 細胞分化・形態形成・細胞周期・環境応答などはこのような複雑な相互作用によって生み出されている。 突然変異によるネットワーク構造の変化は、制御下流の遺伝子群が発現する場所・時期・組み合わせを変化させることで不連続な表現型変異をもたらすことがある。

隠蔽変異 (Cryptic Genetic Variation: CGV)

生物というシステムが持つ頑健性により、突然変異が起きても表現型に影響を与えない場合がある。 このような中立変異はある割合で集団中・集団間に保持される。 この隠れた遺伝的変異は、通常の環境では表現型の違いを生み出さないが、遺伝的・環境的な撹乱を受けたときに表現型多型として顕在化する。 その一部に、今までにない適応的な新奇形質が含まれている可能性があるのではないか、というお話。 そのように出現した新奇形質は始めは環境依存の可塑的なものだが、遺伝的同化によってのちのち普通の表現型として定着しうる。

遺伝的同化 (Genetic assimilation)

始めに可塑的な応答として適応的な新奇形質が出現し、後からそれを安定化するような遺伝的基盤が進化すること。 これまでの理論研究の多くは、新奇形質を出現させる引き金が突然変異であると仮定してきた。 しかし、ショウジョウバエ(Waddington 1953)やスズメガ(Suzuki & Nijhout 2006)の実験などにおいて、 集団中に隠れていた遺伝的変異が外部から与えられる刺激によって顕在化して形態や体色の多型を生じること、 また、刺激なしでも新しい表現型になる系統がその後の人為選択によって生じることが観察されている。 あたかも獲得形質が遺伝しているようにも見えるが、可塑的な応答(reaction norm)の遺伝的基盤が進化していると見るのが正しい。

学習して手に入れた形質は遺伝しないが、その学習をよりよくできる遺伝子型が世代を経て選択されていく結果、最終的に学習なしで生得的にその形質を示す遺伝子型まで行くかも、というボールドウィン効果も遺伝的同化の一種と見なせる。

West-Eberhard 2003, Kirschner & Gerhart 2005